女子中二病と女子高二病というのもあると思うんだ:昨日の風はどんなのだっけ?

僕みたいに同人やってる人間は、この文を見て
いわゆる「腐女子」「腐男子」の事だなと思うのですが
僕もこのブログで「大阪のお笑いファンは腐女子だ」という事を
書いてたりする訳ですが
どうも、その事で僕が「腐女子批判をしてる」と
誤解されてるようなんですよ。


でも「腐ってる」事に関しては、僕は完全に人の事は言えませんw
完全に「腐男子」ですw(その辺は最近の日記を見ると解るとは思いますがw)
たぶん、過去に「2丁目WACHACHA」にハマったのも
その兆候がその頃からあったというか
いや、その頃の方が「腐女子」に近かったかも知れません。
今はどっちかというと「腐男子」で、しかも「男性向けジャンル方向」に傾いてますし。
(「男の娘」とか「両声類」とかw)


ただ、彼女らは「自分が腐女子」だという自覚がないんですよ。
そこが「腐の心」を持つ僕としては憤りを感じてしまう訳です。


大阪の濃いお笑いファンの多くは男女関係なく
東京の「キャラクター推し」の芸を「卑怯だ」「幼稚だ」「安直だ」と非難し
大阪の「無個性で発想力勝負」の芸人を「本物」として評価するという傾向があるんですが
でも、テレビ見ている一般視聴者の多くは
キャラクターの面白い芸人を見て
「この人面白そう」と思って食いつくんですよ。
(今だとオードリーの春日がわかりやすいかな?)
だから、東京(というか全国区)の芸人はキャラクターを
全面的に推し出すために、奇抜な格好をしたり
耳に残るフレーズを生み出したりするんですよ。


で、その「食いつく為の入り口」が「キャラクター」ではなく
「若い男子が二人で面白い事をやってる」って嗜好って
それは「腐女子腐男子」の発想だと僕は思うんですよね。
トラックバック先に千鳥の名前が出てきてますが
千鳥のファンって男女問わず
「二人が楽しそうに面白がってネタやってるのがいい」
って評価するんですけど、それって完全に「やおい」じゃんって思いますし。


だから千鳥ってM-1ファイナルでの点数が低いんですよ。
別に斬新な漫才が受け入れられないんじゃない。
「男子二人が楽しそうに漫才してる=やおい」という
彼らのウリが一般人に理解出来ないだけ。
これは2007年一戦目の笑い飯のネタにも言える事なんですが
あの時「トップバッターでネタがイマイチだったとは言え
ハリセンボンより下はないだろう」みたいな声をよく聴きますが
それは笑い飯のあの時のネタが「やおい」だったから審査員も
みんな、あのネタの面白さが理解出来なったんですよ。
いくら技術力があろうと、発想力が優れてようと
やおい」は一般人には理解不能なモノなのです。


ここで一つ面白い話があって(「面白い」って言っても「笑える話」ではなくて
「いとをかし」とか「interesting」とかそういう意味ですよ)
桂文珍アメリカに落語しに行こうってなった時に
最初「落語は通じないのではないか?」と思って
一緒に行った落語家と二人で英語で漫才したらしいんですよ。
そしたら「男二人が寄り添って喋ってる様子」が
「ホモ同士がいちゃいちゃしてる」と思われて
客席前列にそういう人たちが寄ってニヤニヤしながら見てた
というエピソードがあったらしいんですよ。
この話がまさにこれまで書いた「腐女子やおい話」を象徴してると思うんですよね。


いや、これ阪神巨人が行って漫才してたらまだ「芸」として理解してくれたと思うんですよ。
「小さい男が奇声発して暴れてるのを大きな男が制止する」という
わかりやすいコンセプトありますから。
でも、その舞台で漫才してたのは文珍と一緒に行った落語家で
いわば「見た目にこれと言って特徴のない男二人」ですからね。


だから、大阪の濃い若手お笑いファンって女だけじゃなくて男も
「腐」の傾向があると思うんですよね。
ただ、それ自体は悪い事ではない。嗜好は自由ですから。
でも、自分らの嗜好が非常にマイノリティだという事に気付かず
自分らと相反する「東京のお笑い」を「レベルの低いモノ」と
非難するのは僕はどうかと思うんですよ。


「変である事」は悪い事ではありません。
(「変である事が悪い事」なら僕なんか極悪人ですからねw)
ただ「変である事に自覚がない事」は悪い事だと僕は思います。