というわけで昨日の続きから天津の話

昨日、途中まで書いて終わっちゃって、読んでる人が
気持ち悪い状態になってると思うのでw
昨日書きかけた天津の話の続きをしたいと思います。


まぁ、2ちゃんの天津スレの話なんですけど
荒らし、煽り全盛の2ちゃんでも、天津のスレは
ぶっちゃけ過疎ってると言いましょうか
その分、ファンの人が結構本音で書いてる部分があって
僕はそこの意見って結構信憑性あると思ってるので
それを前提に書きますけど
スレを見てとりあえず思ったのが
あ、ファンがこんな調子じゃあ
天津、オタク芸人として前進しないハズだわ。

と。


天津のファンの女性がオタクいう人物に対して寛容度がなさすぎ
よく、スレに出てくる常套句が
「向のオタクキャラは彼の芸風の一つなんだ。
それが証拠にbaseではもうオタクキャラはやっていない」

なんですけど、僕は
「それはbaseでオタ芸やっても誰も笑ってくれないからじゃないの?」
って思うんですよね。


第一、彼らはM-1の準決勝や敗者復活でオタク漫才をやってるんですよ。
という事はこれから「オタク漫才師」をして自分を売り込む気満々じゃないですか。
もう、ファンの人が言ってる枝葉の芸でもなんでもなくて
完全に「オタクキャラ」を幹にして生きて行く気だと僕は思います。


だって北は北海道から南は九州まで移るテレビの全国ネットでやってる芸と
たかだか、大阪の本屋さんの地下にある小さな劇場でやってる芸と
どっちが本芸やねんって言ったらそりゃ前者でしょう。


「オタクキャラは数ある手法の一つ」って言ってるファンの人は
結局「向がオタクキャラになってしまったのが納得行かなくて
それをなんとか自分の中で納得させる為にそういう考えに辿り着いた」
って事なんじゃないのかな?って思うんですよ。


それなのに、いかにも「自分達が一番天津の事を、向クンの事を解ってる」
みたいな感じで居るってのがねぇ…
僕はむしろそういう人が一番、天津の事を理解出来てないんじゃないか?
って思うんですよ。
たぶん、そういう人って「ずっと昔から私は天津の事を見てるから」
って思ってるんでしょうけど、だからこそ見えてないというか
灯台もと暗し」じゃないけど「近すぎて見えてない」事っていうのも
あると思います。


現に僕は天津の「オタク漫才」の評価ってbaseのファンよりも
オンバトの審査員の方が全うな評価出来てると思いますもん。


僕は本当に天津のが好きで応援しようと思うのであれば
自分の脳内変換で都合のいい部分だけじゃなくて
本当の意味で「向のオタキャラ」を受け入れるべきだと思います。


せっかく、天津本人らが「オタク芸人して行く」と
覚悟を決めようとしてるのに、
それを足にしがみついて
「そっち行かないでー!」ってなったら
そりゃ天津も覚悟決め切れないですよねぇ。


あと、天津もねぇ…、いつまでもbaseに居てる場合やないやろ
って思うんですけどね。
オタク云々別にして、もうぼちぼち出て行かないといけない
芸暦になって来たんじゃないかと思うのです。


なんか数ヶ月前にbaseで月に何回も単独イベントやりまくったらしいんですが
天津本人やbaseで応援してるファンの人には悪いけど
baseでそんなに頑張っても意味が無いというか
その意欲をなんでもっと外側に向けないんだ?
って思うんですよ。


さっきも書きましたが、所詮「大阪の本屋さんの地下にある小さい劇場」で
名前売った所で全国には轟かないでしょう。


それで、今日おりたさんのここのエントリーを見て思ったんですけど
天津もいわば文化系芸人ですから、baseの内輪の中に居るんじゃなくて
もっと異文化交流みたいなのをするべきではないでしょうか?


いつまでも、はりけ〜んず前田のイベントに
金魚の糞みたいにくっついて、ゲスト参加するんじゃなくて
自分でなんとか切り開いて欲しいです。