嘉門達夫BOX~怒涛のビクター・シングルスについて多少の追記を

ブックレットを読んでると、まぁ今回対談には出演していないものの、
当時のプロデューサーであった新田一郎の名前も登場していました。、
その中で嘉門達夫は「当時は完全にPに任せていた」ような話を書いてました。


ただね、僕が前のエントリーで「嘉門達夫はサラリーマンを見下してる所がある」と書いたんですが
その理由が「会社の意向で自分の意思なく生きていることが情けない」だったんですよね。
しかもそれが「自分の意向より新田一郎の意向に従ってた真っただ中」で。
それだったら、そんな理由でサラリーマンを見下したらイカンわと。
後になって「そういう生き方もある」って発言もしてましたけど
ちょっと言い訳っぽいんですよね、自分への。


あと僕は諸事情で今はブレーンから退いてますけど、まだ本人とのやりとりが合った時
アルバムなどで、同じコンセプトを何度も繰り返して「あ、正直聞いててしんどいな」って思ったトラックに
「これ長ないです?一個でいいと思ったんですけど」って軽く感想を投げてみたんですよね。
その時に「でも新田さんの意向で…」みたいに言って来て
新田一郎の意向のまま動いてる」ってのを「なんかあった時の言い訳にしてない?」と
その時にふと思ったんですよね。
今回のも「言い訳+欠席裁判」みたいになってないかなぁと。
もちろん彼抜きでビクター時代の話は出来ないとは思うんですけどね。


それで新田一郎って結局、最後は自己破産で事務所及びレーベル解体したわけじゃないですか。
(余談ですが、僕もかなり払われてない印税があります)
つまりは「プロデューサーとして無能」だったわけで、
それはこうやってシングル曲を時系列順に聞いてみてもよくわかるんですよね。
本当に「誰向けやねん?どこ狙ってんねん?」とツッコミどころ満載な
アルバムになってしまってる訳ですからね。
そこに気付いて「新田一郎離れ」が出来なかったという事は
それは最早「嘉門達夫の自己責任」じゃないかなぁ。