キングオブコントで一番興味を惹かれた話(追記)

ぶっちゃけ、キングオブコントにはあんまり興味が沸かないんですよね。
M−1に比べてドキドキ感が沸かない。
正直、決勝のメンツが多少おかしいのも
一応取り上げたのですが、そこまで憤りを感じてる訳でもない。


それよりも、僕がキングオブコントで興味を惹かれたのは
天津の準決勝のネタ。


なんでも先生役の木村が女子高生役の向に
ストーカー行為を働くような感じのネタだったらしいのですが
っていうか、このネタって三円前のM-1で「脳内妹」というタイトルでやってた
向のキモイキャラを木村にやらせてるだけじゃないのかと。


もうね、三年前と何も変わってないじゃないかと。
今木村のエロ詩吟がブームだからといって
昔、自分がやってたキモイキャラを
木村にスライドするっていうのも発想として安直だし
(そもそも、今木村がやってる「エロキャラ」と
準決勝で向が木村にやらせたキモイキャラは違うしね。)
で、その「脳内妹」もその後「脳内メイド」に移行した時
「キモさ」が笑えるようなモノに変換出来たのに
また、元に戻ってるというのはどういうこっちゃ!?と。


それで、準決勝の感想見てて「なんだかなぁ」って思うのは
そのネタを見た人が「決勝がゴールデンのテレビ番組の準決勝で
こんなネタをやるなんて、なんてアナーキーなんだ」
みたいなホメ方をしてるお笑いファンが結構居てるんですよ。


ちょっと待ってくれよと。
いや、大阪のお笑いファンって
「今テレビが生み出してるお笑いブームに背を向けてる芸人」を
異様に崇拝する傾向があって
これもその志向から来てるんだと思うんですけど
「テレビに背を向けて生きてる芸人」がそもそもこんな所出て来ませんって。
ラーメンズも伊集院にあれだけ煽られながら結局出なかったし
吉本でいうなら、へびいちごとか吉本から「出ろ」っていう
要請があったにもかかわらず、蹴ったらしいですから。


そもそも、こんな所に出てテレビに背を向けたネタをするなんて
それはアナーキーなんじゃなくて
ただの「ひねくれ者のイヤな奴」ですよ。


でも、僕は天津がそんな「ひねくれ者のイヤな奴」だとは思えない。
むしろ彼らは非常に「まっすぐ」なんだと思います。
やっぱり、こういう場に出てくるって事は真剣なんですよ。
テレビに出てテレビで売れたいんですよ。


じゃあ、なんであんな気持ち悪いネタをやったのかというと
恐らく向は「こういうネタを一般人がオーディエンスをやってるような番組
オンバトとかアワード)ではお客さんが引いてしまう。
でも、この番組は作家や芸人が審査してる。
作家や芸人なら、単純に『気持ち悪い』のも『笑い』としてやってる事を
解ってくれるはずだ。作家や芸人が『面白い』と評価すれば
世間一般も『これは面白いモノだ』と理解してくれるハズ」
って思ってるんじゃないかなって気がするんですよ。


だから、ここだけじゃなくてM-1の準決勝でも
普段テレビでやってる漫才よりも向がキモイネタを
持ってくるという傾向があるのはその思考があったからじゃないか?
と思うんですよ。


でも、審査員の中にはテレビ局の人も居てる訳ですよね?
そんなテレビ局の人が
「ゴールデンタイムにテレビで放送してお茶の間が凍りつくようなネタ」
は選ばんでしょう、JK。


だからね、これは天津に限らず大阪(特に吉本)の若手に
見られる傾向なんですけど
「テレビで売れたいと思ってるクセに
テレビというモノを知らなさ過ぎる」
んですよ。
テレビを制するなら、まずはテレビと言うモノをもっと研究、分析をしないと。


それに、万が一このネタで決勝行けて
優勝出来たにしても、木村はエロキャラでいいとして
向はどうすんの?って話じゃないですか。
まさか女装キャラで行く気?
そういう「優勝後の展開」みたいなのも
計算に入れて考えて行かないと
ブレイクした後、また方向性に迷ってしまいますし。


向ってオンバトとかアワードとかで自分が評価されないと
「わからないですねぇ…」みたいな事言ってるけど
それは「解らない」んじゃなくて「解ろうとしてない」だけだと思う。
そもそも、お笑いは客商売なんですから
まずはお客さんを第一に考えないと。
それも「一元さん(ここでは自分の事を知らないテレビの視聴者)」
も「いつものお客さん」同様に
大事にしないといけないと思いますね。


(追記)
この辺のレポを見てると、向が先生で、木村が生徒のようですね。
僕のマイミク(だった人)の日記には「木村が先生役」
と書いてあったのでてっきり役割を入れ替えたのかと思ってました。
まぁ、どっちにしろ天津に言いたい事は変わりないのですが

天津 木村のエロ詩吟、吟じます。

天津 木村のエロ詩吟、吟じます。