こういうCDを買ってきました

25th ANNIVERSARY SELF COVER BEST

25th ANNIVERSARY SELF COVER BEST

発売はかなり前だったんですが、お金が無くてなかなか買えなかったのが
給料が入ってようやく買う事が出来ました。


で、感想なのですが、構成としてはコロムビア時代の曲5曲
ビクター時代の曲5曲、DAIPRO-X時代が4曲という編成になっています。


コロムビア時代のはまさに嘉門達夫の原点という感じがして
今歌い直しても違和感が無い
アレンジも当時に比較的忠実のなのが嬉しい。


反面。ビクター時代のは嘉門達夫が一番脂が乗ってた時期だっただけに
今歌い直したのを聞くと、いさかか迫力不足。
それなら、せめてアレンジぐらいは当時と忠実にしてくれればいいのに
なんか打ち込みサウンドが雰囲気を完全にぶち壊してます。
よかったのは「鼻から牛乳」ぐらいか?


DAIPRO-X時代は「セルフカバーする意味ある?」っていうぐらい
変わってませんでした。


それでブックレットを読んでると
「それぞれの時代の中でリアルな事を歌って行きたい」
と表記してて、相変わらず
「俺は時代を斬るんや」って思ってるみたいなんですが
僕は嘉門さんって、昭和でいいと思うんですよね。
今回コロムビア時代の歌を聴いてて、
今聞いてても雰囲気的に全然違和感がなかったんですよ。
凄く古い単語とか出てるのに。


だから、もう僕らの世代前後の人ターゲットでええやんと。
「時代を描く」って言っても 浮世離れした嘉門達夫が本当に
ちゃんと時代を描けるのか?という部分にも疑問を感じますしね。


まぁ、でもこういうアルバムを出そうと踏み切ってくれた事に
ファンとしては「嘉門達夫もちょっとこっちに歩み寄ってくれたかな?」
という嬉しい気持ちはあります。


ちょっと話は飛ぶんですが、今嘉門達夫って
「芸術家」みたいな感じになってるじゃないですか。
石に絵を描いたり、壁中オブジェだらけにしたり。
僕の嘉門ファンの古い友人にその話をしたら
「え?嘉門さん、今そんな事なってるの?」
って驚いてたんですが、でもこれまでの嘉門達夫
思い返してみると、こうなっても不思議ではないんですよね。


僕ら古い嘉門ファンは嘉門達夫の芸風から、勝手に「職人」みたいに思ってましたが
実は嘉門達夫って「アーティスト気質」なんですよ。
「誰もやっていない事をやる」という事に悦びを感じるとでも言いましょうか。
コミックソング界って、結構長い間「嘉門達夫無双」の時代だったんですよ。
先駆者は現役を退き、後継者は出てくるものの上手く育たない。


でも、嘉門達夫はそこに悦びや「やりがい」を感じていた。
「自分だけが成し遂げている偉業」みたいな感じで。
それが嘉門達夫の原動力になってたんだと思います。


しかし、若手のお笑い界に「テツandトモ」と「はなわ」が
出てきてから事態は一転。
若手のお笑い界に「嘉門イズム」を継承する芸人が次々と現れた。
後に波田陽区オリエンタルラジオムーディ勝山
人こそは現れては消えしてるものの、嘉門達夫
やって来たジャンルはずっとそのまま残ってる。
しかも、若いセンスとパワーで今の嘉門達夫より
ずっといいネタを披露している。


僕はこの事によって、嘉門達夫は大きくモチベーションを
下げてしまう事になったのではないか?と思うんですよ。
嘉門達夫って、結構若手芸人とかチェックしてますし。
正直近年のアルバムを聞いてても
一時のような情熱は感じられず
無理やりひり出したような感じの内容ばっかりでしたから。
「ナリ金投稿天国」の時はちょっと息を吹き返しましたが
それも番組が終わって元に戻りましたしね。


でも、そのナリ金投稿天国と時期を同じくして
そういう「芸術」の方面に目覚めたみたいで
そっちに今まで歌に費やしてきた
「アーティスティック」な情熱をそこに注ぐ事が出来たのではないか?
と僕は思ってます。
まぁ、それがいいか悪いかは置いといてw


ただ、こういう方面にのめり込めるという事は
今までやって来た「コミックソング」を
「一番金回りのいい仕事」として割り切れるようになって
それが今回のセルフカバーアルバム発売に繋がったんじゃないか?
って睨んでいます。
まだ、今回のアルバムもラスト4曲に最近の歌入れたり
上記に書いてあるような事をブックレットに書いちゃったりと
部分部分でまだ吹っ切れていない部分もありますが
これが完全に吹っ切る事が出来れば嘉門達夫
本当の意味での「職人」になれると思います。


嘉門達夫が復帰するには
「昔、嘉門達夫聞いてました」って人に
いかに媚びる事が出来るかだと思ってますので。