「バラエティ番組」の“空気”という概念を日常生活に持ち込むべきでない:昨日の風はどんなのだっけ?
昨日の日記で僕は「テレビマンに『オタク』が居なくなったから、
こだわりを持った番組が生まれないんじゃないか?」という事を書きましたが、
それで思い出したのが上の記事。
これを見て、構成作家の高須光聖がどっかで言ってた
「頭の中で面白い事を考えてる奴より、その場を盛り上げられる奴の方が作家に向いてる」
というのを思い出しました。
つまり、逆を言えば今のテレビ界には、そういう
「『クラスのお調子者』が集って番組を作ってるから
「学校の延長線上のような番組が出来上がってしまうのではないか?」
ってふと思ったのです。
今の状況を打破するには「頭の中で面白い事考えてる奴」こそが
テレビマンになって、その「頭の中の面白い事」を
上手く形に出来る状況を作らないとダメなのではないかと。
やはり「オタク」がテレビ製作者にならないとダメだと
さらに僕の中で確信しました。
どうも、今のお笑い界って吉本の芸人を筆頭に
「やんちゃしてるヤツがデフォルト」になってて
ちょっと大人しいオタクっぽい人間を排除するというか
バカにするような風潮になってますよね。
テレビとかでも芸人が集った時に
ちょっとおとなしめの芸人(わかりやすい例を挙げるとフット岩尾とか)を
「やんちゃした事無い、出来ない」事を変にいじったりしますしね。
(この辺の環境はダウンタウン、今田耕司から始まって
雨上がりあたりで更に強くなった感じがします)
この状況を打破するには逆に文化系芸人の人口が多い
松竹芸能の芸人さんに頑張って貰うしかないですね。
そう考えると、岩尾が昔組んでた「ドレス」って両方とも
いかにも文化系って感じの二人だったのに
(岩尾の当時の相方は今漫画家してますし)
よく吉本に行こうという気になりましたね。
どっちかというとコントの作りがよゐこっぽい感じだったし
松竹に行ってもおかしくなかったと今更ですが思ったりするのです。
よゐこ→のイズ→ドレス→チョップリンって
並べると妙にしっくり来ますしねw