天津向「ツンデレ萌え日記」

5月10日〜15日の日記なのですが
なんか、一連の日記見てると、ますます天津が
コンビである意味がなくなって来てるようで
非常に不安なのですが…。


向は木村、向がそれぞれニュースに取り上げられた事を
コンビの功績のように書いてますけど
これは完全に木村、向個々の評価が上がって
だけであって、決して「天津」というコンビの
評価が上がった訳ではないんですよね。
その辺をもうちょっと解って欲しいなと。


まぁ、木村に関しては、もうあれだけ
ゴールデンタイムの番組でフィーチャーされたから
仕方ないとして、問題は向というか
ニュースになった話の前に
秋葉原で前田さんと漫才やった」
という話が延々と書いてあって
まぁ、ウケてたそうなんですけど
前田さんとの特別ユニットでウケてもなぁ…
というのが正直あるんですよ。


やっぱり、こういうある意味大事な時、大事な場所で
「天津」で漫才出来なかった、しなかったというのがね、
今、木村がああいう風になってるからこそ
向がしっかり木村を繋ぎとめとかなくちゃ
いけないと思うんですよねぇ。


たぶん今回のは前田さんからの誘いだったと思うんですけど
そこはなんとか「天津で舞台立たせてくれ」
とは言えなかったんかなぁ…?
いや、本当ははりけ〜んず、天津の二組でやるのが
一番の理想なんですけどね。


はりけ〜んずがまずお手本のオタク漫才やって
その後に天津のお手並みは意見みたいな流れが
一番いいと思うんですよ。
はりけ〜んずの凄い所は
「前田さんが非オタの新井さんとやっても
きっちりオタクを笑わせられる漫才が出来る」
という所なんですよね。
だから、むちろん向が前田さんから盗むモノもあると同時に
木村も新井さんから盗めるモノがたくさんあると思う。


たぶん、最初は天津でオタクネタやっても
きっとダダズベリになると思うんですけど
それでいいんですよ。
そこから、いろいろ反省して形作って行く
という訓練をして行かないと
漫才師「天津」としての成長はしないと思うんですよね。

あと、日記の中で

前田さんとやる漫才は普段の漫才と違って、基本歯止めの部分がないですから、楽しさがずっとクレッシェンドです。

と書いてあるんですけど、逆を返せば
「天津の時は歯止めをかけてる」って事でしょ?
それが今まで天津でオタク漫才が上手く行かなかった原因じゃないかと
今まで散々日記に書いてきましたけど。
結局「オタク」として漫才中余り語らない、出さない事が
向を「オタクとして気持ち悪い人」ではなく
「ただ、気持ち悪い人」というキャラにしてしまった。
でも、広いお笑い界、向よりも気持ち悪い芸人なんて
山のように居るわけですよ。
(一番近い所で南キャンの山ちゃんとかw)
それでそういう人らとは違うベクトルの
気持ち悪さをアピールしないといけない、
だから向はオタクキャラを止めちゃいけないんですよ。


あと、僕が天津見てて思うのは
向がネタを書いてて、一応主導権は向にあるようですけど
実は芸人としてのポテンシャルは木村の方がずっと高い。
(だから、作家がきちんとしたネタを与えたら
一人でも、あれだけの事が出来たんですよ)
だから、向は漫才の時はもう木村の
「芸人としてのポテンシャル」を信じて
遠慮なしにオタクキャラでどーんとぶつかって行けばいいと思うんですよ。
僕は天津の漫才には絶対に木村が居ると思います。
木村は一人でもやっていけるかも知れませんけど
向には木村が居ないとダメだと思います。


だから、僕は木村が普段の天津の漫才とは
違うベクトルのキャラで売れてしまう事を
凄く恐れたんですよね。
ただ、今木村がやってる「詩吟キャラ」は
ヒロシが「ガラスの部屋」をバックにあるあるネタをつぶやいたり
小梅太夫が高い声であるあるネタを歌いながら
日本舞踊モドキの踊りを踊ったりしてのが
要は詩吟になってるだけだと思うので
たぶん、結構消費が早いんじゃないかな?
って僕は踏んでるんで、これに関しては
そこまでの心配はないかな?と
最近思うようになって来たんですが
でも、その時のためにも「天津」という
帰ってこれる場所をちゃんと確保しておく
必要があると思うんですよ。