ツンデレ萌え日記7月18日「登風」

まぁ、向が単独イベントをやりたがってるみたいなのですが
うめだの支配人の許可下りるかなぁ?
baseとはキャパが違いますしねぇ…。
ワッハ上方でやるにしても同様でしょう。


しかも、前田さんと違って
たぶん客層はいつもの天津のファンが多いでしょう。
その娘らに合わせた、ぬる〜い
オタクとは名ばかりの「向萌え」な
イベントになるのは目に見えてますしね。


万が一マニアックなネタやって
客席がぽかーんとしてる様子も見たくないしw
とも蔵とかゲストに呼んでも絶対反応悪いですよ。
それはそれでとも蔵が気の毒ですしね。


いやね、天津って前やってたオタク漫才
もう止めちゃったじゃないですか。
僕は「オタク漫才」を成功させられなかったのに
こういうピンでのオタク芸人としての活動は
10年早いというか、ちゃんと「オタク漫才」を
成功させて「天津」って聞いたら
お笑いにそんなに詳しくない人でも
「ああ、あのオタクの漫才師ね」って
なるぐらいになってからじゃないと
ピンのイベントなんてさせたらダメだと思うんですよね。


で、天津がオタク漫才止めたのって
前にかわら長介がM-1のレビューで書いてた

▼只、オタクという存在は表現には有効だ。その目線、その視点、その勝手、その思い上りで世間を見ればいいのだ。そこに己の不満や、疑問、あるいは建設的展望、逆に失望、怒り、悲哀、あるある・・・思うがままにこめる事は出来る。それを天津はやっているかだ。追求心が弱い。掘り方が浅い。日本一視点の鋭いオタクに成れるかだ。違うか・・・?

結局、↑これが出来なくて、
そこから逃げてしまった訳じゃないですか。
でも、ここに書いてあるのって実は漫才の基本だと思うですよ。


ダウンタウン以降、芸人もお笑いファンもカン違いしてるみたいだけど
何も漫才と言うのは「よく出来た面白い話を披露する」のではない。
自分の持ってるパーソナルな面白さを一本のネタに凝縮し
それを見せ付ける、それこそが漫才なんだと思います。


それが出来ないから逃げて来たような奴が
他何をやったって結局一緒だと思うんですよ。
だから、今の天津の漫才も、向のピン芸も中途半端なんですよね。
芸に「確固たる信念が無い」。


天津のオタク漫才については今までいろいろ書いてきたけど
最近気付いたのは
「向って自己表現をする時にワンクッション置くクセがある」。
例えばオタク漫才する時、主人公が「向」ではなく
「木村の奥さん」だったり「新幹線オタクの父親」だったり
「頭の中の友人」だったり
自分ではない誰かを代役に置いて自己を表現してたり
向自身がオタクになるパターンでも
「美容師やコンビの店員に転職する」という
必ずワンクッション置く。


これ、すっげーわかりにくい事をやってるんですよね。
大阪のお笑いファンは「ワンクッション置く」という
アイディアを評価したり、
ワンクッション置く事で、
オタクキャラがやわらいで一般向けになるとか
思ってるみたいですけど
現実は全く逆、ワンクッションを置く事で
向がどういう奴なのか?何を考えてるのか?
オタクと言うなら何が好きで、何にこだわりを持っているのかが
天津を知らない人から見たら
全く伝わらないんですよね。


そんな中、唯一向が漫才で自己表現をしたのが
「脳内メイド」な訳ですよ。
だから、あのネタを見た時「これだけは違う!」
って思えたんですね。
僕ももっと早くこの事に気付いてればなぁ…。


ましてや、天津がオタク漫才やり始めた頃って
それこそ「電車男」きっかけで
アキバブーム一色だったじゃないですか。


そんな中「ブームに乗る為にアニメやメイドの話
もっと漫才に織り込め!」っていうならまだしも
「ワンクッション置け」って評論はどう考えてもおかしい。
野球で押せ押せムードの中、送りバントの指示出してる
みたいなモンじゃないですか。


結局、大阪のお笑いファンってお笑いジャンルのテリラシーは
凄く高いんですけど、それ以外のテリラシーが異様に低いというか
早い話「お笑いばっかり見すぎて世間知らずになってる」。
結局、その「大阪の世間知らずのお笑いファン」が
天津のオタク漫才をあらぬ方向に導いてしまった
要因の一つだと思います。

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