千原兄弟、ジャリズムはナゼ東京でブレイクしなっかたのかを考える

今からおよそ8年前関西で絶大な人気を誇った千原兄弟ジャリズムが東京へ進出しました。
しかも吉本の会社命令だったらしく、今まで会社命令で
東京へ行ったのはダウンタウンとナイナイの2組だけだったので
かなり会社が期待をかけていたんだと思います。


しかし、あえなく失敗に終わりました。
千原兄弟は一応バラエティ番組にはちょこちょこ出して貰っていますが
鳴り物入りで東京に来た割には誰でも出来るような内容の仕事ですし
ジャリズムに至っては一旦解散してしまってますからね。
一応再結成したものの、正直かなり微妙なポジションです。
(渡辺は放送作家としては成功してるようですけど)


なんで、こんな事になってしまったのか?
それを探る前にまずはナゼ関西でブレイクしたのかを思い返してみましょう。


彼等がブレイクしたのは「すんげーBest10」という番組がきっかけだと思います。
この番組はどんな番組かというと毎週2丁目劇場の若手芸人が
コンビネタ、もしくはユニットコント(コンビの片割れ同士が
何人か集ってやる合同コント)で15本〜20本で予選を行い
お客さんの人気投票でベスト10を決定し、その中から
7本から5本のネタ(これは放送時間の都合上)を
オンエアするという番組でした。


ただ、番組始まった当初はコンビネタよりも、
むしろユニットコントが多く、それがこの番組のウリになっていたようです。
今から思えば、このユニットコント
古くは「夢で逢えたら」、最近だと「はねるのトびら」のような
コント番組を2丁目メンバーでやってたって感じなんじゃないかと思うのです。


だからこそ面白かったし、番組も人気が出たんだと思います。
実際番組中盤から終わりにかけて、おのおのの仕事が忙しくなったのか
ユニットが減りコンビネタばっかりになると同時に
徐々に番組人気が下降して行きましたから。


だから、その中でいくら人気トップ1トップ2だったからと言って
イキナリ千原兄弟ジャリズムだけを切り取って
東京の人に見せても、あの「2丁目」という箱の面白さは
伝わらなかったんじゃないか?と思うのです。


だから、まぁ2丁目メンバー全員を東京に連れて行くのは無理なので
その「すんげー」で評判の良かったユニットコントを何本か決めて、
毎週代わる代わる違うコントを見せる番組を作れたら良かったんですけどね。
これならメンバーはコントに参加する人間だけ連れて行けばいいわけですし。


それで「2丁目」という箱の面白さが伝わったら
改めて評判の良かったコンビ(千原、ジャリに関わらず)を
単独で売り出せば上手く行ったと思うんですけどね。


なんで当時のスタッフはこの事に気が付かなかったんでしょうね。
千原兄弟ジャリズムいきなり見せられても
東京では無理ですわ、2組とも華ないしw