スミス夫人

昔吉本に「スミス夫人」というコンビが居ました。
プラン9にいるなだぎ武が昔組んでたコンビで
ボケの松村はバナナマン日村の体と目を細くした感じ。
スローテンポな動きと独特の喋り方で
「居るだけで面白い」という大阪の芸人には珍しい雰囲気でボケるタイプ。


ツッコミはなだぎが担当してたのですが
今よりももっと声を張って動きまくってツッコむという、
まさに「静のボケと動のツッコミ」というコンビでした。


最初2丁目軍団の中では最年長(千原兄弟と同期の8期生)
ではあるもののポジションは上の方ではなく
なんとなく中途半端なポジションだったのですが
96年「超爆笑BOOING」でスーパーグランドチャンピオンに
なってから一気に追い風が彼らに吹き始めました。


その後「すんげ〜!!Best10」でも2週立て続けに1位を獲得、
オールザッツ漫才」のトーナメントで優勝、
2丁目のネタ合戦でも1位を獲得しまさに上り調子でした。


芸暦、実力共に2丁目トップとなったスミス夫人は
その後2丁目を卒業となったのですが
この卒業が彼らに悲運を招く事になりました。


関西には当時2丁目劇場しか若者向けの劇場は無く、
2丁目を卒業するという事は同時に
「ホームを失う」という事になってしまったのです。


そこからスミス夫人は凋落の一途を辿って行きます。
特にボケ役の松村にすっかり覇気がなくなり
年に一度オールザッツで漫才を披露してましたが
松村はほとんど喋らず、なだぎの漫談ショーみたいになってたり、
妊娠をネタの漫才をした時は松村が妊婦の産道を
めちゃくちゃ広げると言った変なネタをやってたりで
「あーこれヤバイなー」って思ってると
しばらくして、解散してしまいました。
(松村はその後引退して一般人になってます)


恐らく「若い娘の前で定期的にネタをやる」
「2丁目軍団としてテレビに出させてもらえる」という事が
本人らのモチベーションに繋がってたんでしょうね。
他に2丁目を追い出されてから、モチベーションが下がった
芸人結構居ましたから(杉岡みどりとかトクトミトコナミとか)。


後にbaseよしもとが出来た時、2丁目卒業組で同期の
FUJIWARAやババッファロー吾郎はメンバーに加えられたのですが
スミス夫人はナゼか呼ばれませんでした。
(恐らく千原時代に2丁目を卒業したメンバーは外されたんでしょうね。
他にメッセンジャー水玉れっぷう隊中川家なども呼ばれませんでしたから。)


あの時もしbaseのメンバーに加わっていたら、
もしくは2丁目卒業と共に東京への移籍を決意していたら、
スミス夫人というコンビは続いていたかも知れません。


まぁ、僕が今まで唯一単独イベントに行った芸人さんだったので
ちょっとこういう考察をしてみました。